菊池組の歩み |
安政年間(1850年代)□ |
・ 菊池勘三郎、大工修行ののち、南部藩領 田名部村女舘(おんなだて)にて
建築工事請負業を創業。 (現在の青森県むつ市田名部女舘)
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明治中期~後期頃 |
・ 菊池煉瓦工場設立。社寺建築だけでなく、土蔵、店舗等の商業建築、
学校等の公共建築等、幅広く手掛ける。(菊池丑松) |
明治28年(1895年) |
・ 岩屋尋常小学校舎新築落成。(菊池丑松) |
明治32年(1899年) |
・ 大平尋常小学校舎新築落成。(菊池丑松)
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大正2年(1913年) |
・ 奥内八幡宮新築落成。(菊池丑松、菊池勇太郎、菊池貞吉)
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大正3年(1914年) |
・ 大湊宇田八幡宮新築落成。(菊池丑松、菊池勇太郎、菊池貞吉)
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大正5年(1916年) |
・ 菊池勘三郎、死去。
・ 菊池勇太郎、死去。 |
大正8年(1919年) |
・ 菊池丑松、死去。
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大正12年(1923年) |
・ 菊池貞吉、死去。
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昭和20年~ |
・ 戦後の復興の中、菊池政吉・政幸 親子の活躍によって、
再び社寺建築工房としての高い評価を得るようになる。 |
昭和40年(1965年)
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・ 大平町 願求院本堂新築落成。(菊池政吉)

・ 建設業登録申請にあたり、「菊池組」という商号を正式に用いる。(菊池政幸) |
昭和42年(1967年)
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・ 事業の拠点を女舘から300m程度離れた現在の柳町4丁目に移す。
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昭和45年(1970年)
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・ 田名部町 常念寺本堂 新築落成。(菊池政幸)

・ 菊池政幸、職業訓練による人材育成の功績を称えられ、青森県知事表彰。 |
昭和47年(1972年) |
・ 菊池政吉・政幸による数々の社寺建築工事の実績を賞され、
青森県卓越技能者賞受賞。(菊池政吉)
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昭和49年(1974年) |
・ 東北職業訓練協会長表彰。(菊池政幸) |
昭和51年(1976年) |
・ 小川町義勇組 山車 「猩々山(しょうじょうやま)」 上部新造。(菊池政幸)

・ 大湊上町 常楽寺本堂新築落成。(菊池政幸)
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昭和52年(1977年) |
・ 菊池政幸、交通事故により死去。
・ 菊池一壽、菊池組代表に就任。
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昭和53年(1978年) |
・ 菊池政吉、死去。
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昭和61年(1986年) |
・ この頃より下北地域外における社寺建築の設計・施工を多く手がけるようになる。
・本格的高断熱・高気密住宅を推進し、樹脂サッシ、木製断熱ドア、
硬質ウレタン断熱パネル工法などを導入する。
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平成4年(1992年) |
・ 野辺地八幡宮 社殿新築工事。(菊池一壽)
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平成8年(1996年) |
・ 不動産部設立。 |
平成19年(2007年) |
・ これまで会社のスローガンとして掲げてきた「伝統の技術を現代に」を
下北の明るい未来への願いを込め、「伝統の技術を未来に」へ変更。 |